2020年7月某日。
本当ならばオリンピックの真っ最中だったその日。
兄からの突然の電話に嫌な予感がした。
「お父さんと連絡が取れなくなった」
「え?私昨日までLINEしてたよ?」
「俺もしていたんだけど、夜送ったのは既読がついてないんだ。見てみてくれる?」
「わかった…」
携帯を確認すると、確かに昨晩送ったLINEには既読が付いていなかった。
以前も父の誕生日ごろにメールを送っても連絡がとれないといっていたら、イギリスに旅行へ行っていることがあったので、明日も連絡がつかないようなら行ってみようという事になった。
次の日
AMコロナの影響で在宅勤務だった私はいつも通り子供を学校へ送り出して朝から仕事をしていた。
お昼になろうかという時間帯に兄から連絡がくる。
「やはり連絡がとれない。介護ヘルパーさんがいってインターホンをならしてもでないらしい。」
胸騒ぎがした。
おかしい…。旅行ならばヘルパーさんに事前に言っているはず。
でももしかしたら言い忘れて旅行へ行ってしまったのかもしれない。
そうであってほしい。
いろんなことが頭を駆け巡る。
会社に連絡をして午後から休みをもらい、実家へ行くことにした。
小学校一年の娘は学童へ行くことになっていた。
在宅勤務でよかったと心から思った。
実家へ向かう電車の中、叔母からメールが入る。
「寝室で倒れていて、息はしている。今から救急車で病院に向かう。」
と。電車の中でも落ち着かずに窓際に立った。早く早くと気持ちが焦っていた。
駅に到着した。病院へ向かう途中のドラッグストアで替えのマスクを購入した。
病院に到着。
先に到着していた兄がでてきた。目が赤い。
そのときやっと状況がつかめた。
先に到着している叔母と兄家族から状況をきいた。
脳梗塞。もう脳全体に広がってしまって先生の話では手の施しようがないと。
コロナのため、お見舞いはダメで今会わないと会えなくなるということで私の到着を待ってくれていた。
そして、あぁ娘もつれてくればよかったと後悔した。
あとどのくらいなのか、回復するのか、それは誰にも分らないけれど、病院の先生の話を総合すると、
このまま脈がゆっくりゆっくりと落ちて行って亡くなるということであった。
生きている父に会えるのは最後かもしれない。覚悟した。
それでも回復してくれるかもしれないという数ミリの望みをかけて父の顔をみた。
父の顔は苦しいとかしんどいとか険しい顔ではなかった。
普通に寝ているみたいだった。
みんなで声をかけた。
起きない。
ただただ、眠っていた。体はあたたかかった。
最後かもしれない。きっとみんなそんな思いで思い思いの声をかけていた。
離れるのは名残惜しかったけれど、病院の方々のこともあるのでこの辺でと兄が震える声でみんなに声をかけた。
もう父はすでに3回の脳梗塞を経験していた。
いつかはと覚悟はしていたが、コロナで会うのを控えていたこの時に一人で倒れてしまうとは思いもよらない突然の出来事だった…。
そこから入院の手続き、用意するもの等の説明を受けて必要なものをそろえるためにみんなで一度実家へ戻った。
続く・・・